こんにちは。先日、立て続けに出会った二冊の本が相反するような内容で頭がプチパニックになるという面白い経験をしました。が、大局でこの本をとらえたときの、この二冊のシンクロ感にしびれてしまった…。

熱狂、極端、圧倒的。『絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ』

ここ最近、超速で一気読みしたのは『絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ』です。タイトル見たときに、「ああ、もうこれ読むしかない」と。どことなく詩的なタイトルに落ちました。

 

“絶望しきる”というのは、全力であれもやってこれもやって、で、まだまだやりたいことがあって…でもやりきれず。熱望のまま、それが叶わず絶えること。何かに熱狂していないと絶望しきれないというわけです。

 

それまでの頑張りでうまくいかないならその頑張りをやめる。もしくはその頑張り以上に頑張る。(『絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ』を読んだ後なので、「圧倒的な努力」という言葉を思い出す。)

この二冊、一見相反する思想ですが、魅力の共通点は「極端さ」。

極端な努力と極端な脱力。

見城氏が「極端さ」に人は魅力を感じるものと書いていたのを思い出して、納得です。

私、心屋氏がいう「頑張らない」がなんか嫌いだったんですよね。完全に食わず嫌いでした。うまくいかせたいならうまくいくまで頑張れよ、と思うたちですから。「がんばらない?はぁ?」って思ってました。

「頑張らない」という言葉の意図することが、「その方法でうまくいかないなら、その反対をやればいい」ということだとわかり、心屋アレルギーは消えました。笑 頑張るかどうかにかかわらず、何かをやってみてうまくいかないなら違う方法をやってみるという考えにはすっかり共感です。

私の心屋嫌いも食わず嫌いで、聴いてみたら意外とイケた。考え方の幅が広がりました。

それにいくらか近いことが『絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ』から。

“異物を飲み込めた時、想像を絶する結果が待っている”

手軽にいろんな人の思想を見聴きして幅を広げられるのが読書の面白いところ。苦手なものが食べられた経験のように、それまで苦手としていた考えが、あるときすっと取り入れられたりするのも読書を続ける楽しみでもあるのです。